自分の生命をも掛けた非常に厳しい自由

自分の生命をも掛けた非常に厳しい自由

<ストレス>と言う意味に於いては、自分の生命をも掛けた非常に厳しい自由なのです。
 自由の中には、好き勝手をやって良いと言う権利と、自分の責任は自分で取らなくてはならないと言う義務が生じたからです。
 やがて、徐々に、人は集団を作りました。
 家族を作り、小さな集落が集まって、徐々に、村や、都市が発達しました。
 人々が集まると、自由は制限されました。
 お互いの権利を守るための、ルールが必要になってきたからです。
 人の数は増えれば、増えるほど、その社会的なルールは複雑さを増していきます。
 ルールを守るためのルールが出来、そのルールを守るための、また、ルールが、無限に出来上がって行くのです。
 人は、徐々に自由度を失い、自らが創り出したルールに縛られるようになってきました。
 自由を失ったとき、人はストレスを感じます。
 原始の、その日暮らしの生活が終わりを告げると、誰かの創り出したルールと言うものが人間の生活を支配するようになってきました。
 人々は、家族単位や、村単位や、集落の単位で、まるで運命共同体のような生活を行っていました。
 これは、自由度は失ったものの、ある意味では、非常に楽な生活だったのです。
 自分の人生を自分で考えなくても良い。
 家族や、社会環境や、そのときの権力者たちが、あなたの人生を決定づけてくれるのです。
 この時代は、数千年も続きました。
 古代エジプト、インドのカースト、ヨーロッパのキリスト教を中心とした社会、日本古代の卑弥呼の時代もそうでしょう。

 こんな時代は、日本でも、ほんの数十年前まで続いていたのですよ。
 二回に渡る世界大戦、そして、高度成長時代の会社組織。
 インターネットなんてちょっと、と考えている世代の人々の多くが、この時代の日本を支えてくれた人々なんです。
 でも、<燃え尽き症候群>と言う言葉が、昔、流行ったように、定年を迎えた多くの人たちが、他からの方向付けを失った自分自身の人生に戸惑ってしまったのです。
 今までは、会社や、色々な組織のマニュアル通りにやっていれば、すべてがうまく行ったのに、今度は、マニュアルなんてない、自由を与えられたのです。
 何をやっていいのか、わかんなくなってしまったのです。